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2011年3月の記事

2011年3月28日 (月)

東日本大震災 石巻市の「みずすまし」を襲う!。

Photo_6   3月5日のみずすまし未来塾付け足し講座「味噌づくりをしよう」のブログをアップしていないのに、突然の震度7の大地震と大津波に襲われたみずすまし。
 管理人は、職場(市役所)で、被害の対応に追われ、ブログで伝えることができなかったけど、15日目で、やっと夜家に戻れたので日記を書いてます。

 3月11日の午後2時46分、市役所の職場で、これまで経験したことのないような(実は8年前の宮城県北部でも震度6強を何度も経験済み。)揺れ、高さのある、台帳のロッカーは轟音とともに、机にのしかかり、壁にはひび割れ。
 振れが収まり、来庁中の市民の方々の避難を確認し、職員も外に避難したところ、大津波警報が発令。避難した、市民や学校帰りの高校生等でごった返す駅前広場に、警察官が高台に避難するよう、マイクで呼びかける。
 庁舎は海から離れているので、6階建ての市役所に戻り、被災状況の確認に追われる。
 実は石巻市の庁舎は前はデパート。したがって窓が全くなく、電気が消えれば昼でも暗い。非常電源が作動しているのでいくらか明るい。
 余震が続く中、外の様子を見るが、変化が無い。
 どれくらいの時間が経ったのだろう・・・・。徐々に海から遠い駅前なのに道路に水があふれてくる。
Photo_5   
 続々と石巻の被害が、集まってくる。被害の情報が入るにつれて、ことの大きさがわかってくる。
 地震被害より津波被害が甚大。
 海沿いの南浜町、北上川の河口付近の門脇、湊方面は津波に飲まれたようで、残っているのはコンクリートの数個の建物。
 市内の中心部は、翌朝は津波の水で車も水没し、道路はまるで湖のよう。

 それから数日後、対応に追われ、あれほど喜んだ中心部の水が引いた日が15日か16日か、いつだったか、日にちの感覚もなくなってしまっている・・・。
 人口16万余りの市の中で、死者は、1万人以上になる可能性もあると発表されるほどに、被害の深刻さがわかってくる。(3月28日の午後5時47分現在、宮城県警発表 死者2,127人、行方不明者2,720人。3月27日現在だそうです。県内で一番多い。)

 避難所はピーク時は、150か所以上、避難所だけで約40,000人の数。
 ビルなどに複数で避難している人は、129か所、28,000人。
 自宅の2階で避難している人を含めれば、どれほどの支援を必要としている数になるのだろう・・・・
 市職員の数では、絶対的に足りない未曾有の大被害。これまでの被害想定を超え過ぎている。

 

 何日か前からなのか、記憶が定かではないけれど、携帯電話や固定電話も復旧し、全く無かった通信手段が復旧、水道や電気の復旧も徐々に復旧し始めている。

 情報はテレビ、インターネットなどの方が早かったと思うんでその辺の状況はマスメディアに任せて、省略させていただきます。

 今日28日は、地震から18日目。慣れるのかと思うけど、慣れもせず、市役所に泊まり込み。災害対応に追われている。市民と同じように、家も何もかも、何よりもっとも大事な家族を失った職員、そして職員自身も津波にのまれ亡くなった人もいる・・・。
 そんな中でも、連日疲れきって精神力だけの毎日で市民のためにがんばっている。

 日にちの経過とともに毎日のように問題もさまざまに変化し、試行錯誤の連続。
 
 みずすましの今年度の活動もまだまだ先のことになりそう。

 全国各地から、続々応援をいただいている。自衛隊、自治体、民間・・・・・。

 ありがたくで、本当に心強い。それでも・・・

 今もこれからも、足りないものの一つは「人の力」・・・・・・・・・・・。ボランティアもまだまだ足りない・・・・。
 ボランティアの語源は「志願兵」。何とかしなければと止むに止まれぬ、止めようと思っても止められない、そんな思いをお持ちの方は、ぜひぜひぜひ応援を!。

 ボランティアの詳細は、市のホームページに掲載されています。

http://www.city.ishinomaki.lg.jp/hishokoho/link_2_3_2_2_2_2.jsp

 写真は、偶然に手に入った携帯カメラで撮影した三陸海岸南の石巻市雄勝町です。バスが乗っているのは、雄勝の公民館、もう一つは壊滅的被害を受けた雄勝の町並です。

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